 |
兄貴との6畳一間風呂なしトイレ共同
生活環境は最悪だった。兄貴との6畳一間の生活、一日ごしに銭湯へ行った。まるで「神田川」の世界だった。そのアパートの大屋さんは1階に住んでいた。おばあさんがおり、奥さんは明るくてきれいなひとだった。旦那さんもひとあたりのいいひとだった。また娘さんが2人いて、奥さんに似て美人だった。いつもバスと山の手線を利用して、マンモス予備校の「代々木ゼミナール」へ通っていた。そこの授業料は全て、兄貴が出してくれた。本当にいい兄貴である。東京生活は約1年だったけど人生最高の楽しいときであった。「兄貴、ごめんね」エンジョイしすぎたようだね。
代々木ゼミナールの15番教室
代々木ゼミナールに週に1時間だけ、音楽の時間があったんだ。ここでは誰も彼もが前に出てきて音楽に関して好きなことができたんだ。だから、ぼくもへたなギターで弾き語りをした。そのうち、いっしょに合わせてくれる人がでてきた。例えば、バイオリーンとか、いっしょにギターを弾いてくれたりとか。とても楽しかった。このクラスを受け持ってくれたのがコウズキユミ先生だった。とても明るい先生でした。神永さんとの出会いもここだった。そして、みんなとの出会いもこの教室でした。
西新宿のデート
西新宿は当時、高層ビルがならんでいた。その中に三角形の高層ビルがあった。ここのエレベーターは階数ごとの専用のエレベーターがたくさんあった。改めて説明する必要はないよね。ただ、今もそうだけど沖縄には60階もあるビルなんてないから、とてもすごいビルに見えたんだ。東京タワーも当時、何回も行ったけどね。当時ディズニーランドがなかったことが、ちょっと悔やまれるけど。その建物で食事をした。特に高いものを食べたわけではないけどとても貴重な体験だったような気がする。彼女とのデートはとても楽しかった。でも普段は、図書館がデート場所でよく行ったのが、「梅が丘」の図書館だった。2月ごろかな。梅の花が一面に咲いていたのを覚えている。沖縄も1月の末から桜が咲くので、花の色もピンクがかっていて、沖縄のさくらに似ていたので、最初は、桜がさいていると勘違いしてしまった。とにかく、何をしていても楽しかった。
共通の友人のひろみさん
今、彼女どうしているかな。彼女と連絡が取れていれば、神永さんとまた会うことができたのに彼女もずっと東京で結婚して、幸せに暮らしていると風のうわさで聞いた。いっとき、まじで探したけど彼女のおやじさんに聞いても居場所は教えてくれなかった。そう言えば、風のうわさでぼくのことは、神永さんとひろみさんの間では、死んだことになっていると聞いた。つらい。
ぼくは馬鹿な男です
東京へ戻りたかった。でも兄貴とのあの生活はいやだった。医者になることも正直、あきらめな境地だった。それよりも琉大に戻れば、大学生でいられる。そのことだけがそのときの唯一の救いだった。今、思えば、アホダヨネ。でもそのとき、神永さんにほんとに救いを求めていいのか正直わからなかった。だから、逃げるように東京を後にしてしまった。ほんとうに救いようも無いバカ、ぼくはバカだった。
今になって思うこと
「腹水盆に帰らず」ということわざがあるけど、後悔ばかりで前へ進まない。考えれば考えるだけ、落ち込んでしまう。今になって、25年も前のことで落ち込むのは、どこか、まちがっているよね。そう、きっとまちがい。でも記憶だけは今も鮮明で昨日のことのようだ。あの東京での生活、兄貴に感謝の気持ちなどこれぽっちもなかった。貴重な体験でも逃げ出したかった。浪人生でなければ、全てが違ったと思う。どうか、許してほしい。そして、兄貴に感謝しよう。
|
|